オオ

4.28 三内丸山遺跡

ずっと機会を伺っていました。山形に用事があって、久々の「渡りに船」。青森へ至るルートを睨んで二度と無い機会だと思い松島で鋭気を養い、満を持してそこへ向かったのでした。

想像もしていませんでしたが、エントランスの建造物が大きく立派だったのには驚きました。遺跡の価値が如何程のものかはよくわかりませんが、「世界遺産」です。玄関の大袈裟な構えは分かり易いと思いました。地元の誇りと期待が十分以上に伝わって来ました。
敷地に出る手前の通路がトンネルの様になっていて、企みを感じます。その先に光が溢れて、抜けると一気に視界が広がって、予想以上の風景がそこにありました。「オオ」と思わず 声を上げてしまったのでした。
三丸遺跡に興味を持った理由は、住居が再現されているからです。
再現するものは想像で作るわけですから実際とは違うのだとは思いますが、その出来栄えを見てみたいと思ったのでした。
遺跡の説明はネットに溢れているので省きます。

住居はいくつもあって、遠目には全部同じ様に見えますが、近づいて一つづつ見ていくと形も作りも皆違います。再現は楽しめたに違いありません。機会があれば、手弁当でいいので参加したいと思いました。まだ屋根の材料くらいは運べます。

一見簡素に見えますが、よく見るとかなり手が込んでいます。

土間の中央に炉。あまりリアルではありません。

大きな建物は集会所。厳冬期には避難場所にもなっていた様です。室内は燻煙のヤニで酸味のある独特の臭いがします。しかし、ニセモノでした。ヤニのエキスをスプレーしているそうです。よく見ると分かります。残念ですが、火の気はご法度。点けば為す術はありません。

物見櫓か、力の誇示か、交易の目標か、その全部だったんでしょうね、きっと。
素材は栗、根元の太さはおよそ1m、あったんですねそんなのが。・・マンモスを見るよう。
再現した材料はロシア産だそうです。
「丸太を組んだだけ」とか言うと、作った人に殴られそうですが、当時この規模のものを人力で組みあげたのはすごいです。

穀物庫の床下 縄とカズラが使われています。

縄文の集落は予想以上に豊かに感じられました。
盛土や墓やゴミ捨て場がリアルに存在していて、縄文人の生活をかなり身近に感じることが出来ました。
気になったのがトイレ事情。三丸遺跡は大きな集落です。定住なので、衛生には気を遣っていたと思われますが、説明が一切ありません。是非、再現して欲しいと思いました。

この遺跡は今からおよそ6000〜4000年前のものだそうです。縄文中期から後期にかけての2000年間がこのような環境だったのではないかと想像された訳です。5000年後、果たしてこうやって今を振り返る人達が存在しているのでしょうか。


開場前のエントランス

「渡りに船」今回もこの上無い旅でした。